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6 大切な人の死

(ある日の日記より)



今日、祖母の死を知った。


父からのメールだった。


もうお葬式は終わっていた。



すぐに知らせてはくれなかった。



私は・・・

お葬式に出たかった。


祖母の最後の姿を見ておきたかった。


きちんとお別れがしたかった。





一頻り泣いた後に電話してみると、



どうせ来られないと思って・・

父も母も同じことを言った。



間に合うか間に合わないかはやってみなければ分からない。

そして

そんな大事なことをすぐに知らせてくれなかったことが

家族から除外されているようで悲しかった。



たった2行のメールで済ましてほしくなかった。



祖母が亡くなってしまったことへの深い悲しみ、

祖母に何もして上げられなかったことへの自分を責める気持ち、

死をすぐに知らせてもらえなかった悲しさ、



いろんな感情が押し寄せて

涙が後から後から零れ落ちてくる。




伯母が亡くなったときも

伯父がなくなったときも



私は何もできなかった。




そして今回も。




こんな形で、私は自分の両親の死を知りたくない。








もし、私たちが日本に住んでいたら、

今度はパイオツくんがこういう形で親戚の死を聞くことになるのだろう。




友人の結婚式に出席できない、

友人の出産にすぐに駆けつけてあげられない、


これは、もう諦めている部分があった。



でも、大切な人の死はやりきれない。


私はどうやって祖母とお別れをしたらいいのだろう。






痴呆が進んでいて嫁(私の母)のことを忘れてしまうくらいだった祖母。

でも里帰りのときに遊びにいくと、

トモりん。よく来たねえといつも温かく迎えてくれた。


ミニトモのことを曾孫第一号だといって喜んでくれた。


ここから送ったミニトモの写真や年賀状をものすごく喜び、

大事にしてくれていたそうだ。



昨日遺品処理をしていた父と母がそれを見つけ

二人して泣いたそうだ。




お風呂での事故死・・


突然すぎて、私は死を受け入れられない。




私は祖母に、何もしてあげられなかった。



私は一体何をしているのか。



とりあえず直ぐ航空チケットを買って帰ると話すと、

今帰ってきてもどうしようもない、

四十九日の法事の時に帰ってきたらどうかと言われた。




確かに今帰ったところで私は遺品処理の手伝いくらいしかできないだろう。

でも気持ちの上で、

祖母の死を知っても未だここに居続けることしかできない自分が辛いのだ。




四十九日の法事の時にはなんとしてでも帰る。



おばあちゃん、今頃天国で笑っているのだろうか。


長い一人暮らし・・・寂しかっただろうな。




今日はパイオツくんのハグがとても必要な時だった。


支えてくれる人が側にいてよかった。




おばあちゃん・・もうすぐ会いに行くからね。



お父さん・・お母さん・・ 親不孝な娘でごめんね。




国際結婚・・


ただ、相手が外国人であったというだけ、

初めはそう思っていた。



でも、そんな軽いものではなかった。





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